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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5032号 判決

原告

加戸繁子

ほか二名

被告

主文

一  被告は、原告加戸繁子に対し金一五二七万三〇六八円、同國光寛太郎、同渡邊サダヨに対し各金一五二万七三〇六円及び右各金員に対する昭和五〇年六月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告加戸繁子に対し金二四九四万四七二三円、原告國光寛太郎、同渡邊サダヨそれぞれに対し各金二四九万四四七二円及び右各金員に対する昭和五〇年六月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告らの身分関係等

訴外亡加戸聖六(以下亡聖六という、後記事故後の昭和四五年三月死亡。)、原告加戸繁子(以下原告加戸という。)は後記事故により死亡した訴外亡加戸恵三(以下亡恵三という。)の実父母であり、原告國光寛太郎(以下原告國光という。)は亡聖六の父である訴外亡國光惣一の養子であり、原告渡邊サダヨ(以下原告渡邊という。)は亡聖六の実妹である。

亡恵三は昭和一四年二月一六日出生し、郷里の高等学校を中退後陸上自衛隊に入隊し、任期満了後昭和三八年七月二二日再び陸上自衛隊に入隊し、後記事故当時一等陸士であつた。

2  事故の発生

陸上自衛隊第一〇二施設大隊に所属していた亡恵三は、陸上自衛隊第一施設群一般命令及び第一〇二施設大隊一般命令に基づき、昭和四〇年七月一四日から同年九月一五日までの予定で実施された同年度矢臼別演習場整備工事に従事していたが、同年八月一日同人の上司である第一〇二施設大隊第一中隊第二小隊長訴外長谷場純也二等陸尉(以下長谷場二尉という。)の命により暗渠型枠設置作業に従事するため、同中隊所属の訴外佐藤道人一等陸士(以下佐藤一士という。)の運転する同大隊装備の二・五トンダンプ車(車番二八―〇四三五号 以下本件事故車という。)の荷台に小隊員一七名と共に乗車し、同日午前七時二五分ころ北海道野付郡別海村に設営された作業隊宿舎から約四キロメートル離れた作業現場に向け出発した。

ところが、出発後約九〇〇メートル先の同村字新富七七番地一六号先に所在する三叉路を右折し終つた際、本件事故車の方向指示器が元に戻らなくなつたため、佐藤一士が方向指示器を元に戻そうとその操作に気を奪われているうちに、車が道路左側に寄りすぎたため、同一士は車を道路右方へ寄せようとしたが、路肩が軟弱であつたためにハンドル操作の自由を失い、車が更に左側に寄つたので急ブレーキをかけたところ、一瞬停止した後左に傾き、路肩が崩れて、車は一・五メートル下の湿地帯に転落して転覆し、その際、亡恵三は同人らが乗車していた荷台に積載されていた板材(厚さ一・五センチメートル、幅二〇センチメートル、長さ三・六メートル)一〇枚と車の鉄製幌枠との間に胸部及び大腿部をはさまれ窒息により即死した。

3  責任原因

(一) 被告は雇傭者として、公務遂行にあたる国家公務員に対し、その遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものと解すべきである。そして、前記長谷場二尉は、陸上自衛隊第一〇二施設大隊第一中隊第二小隊長及び前記工事の作業隊長であり、また本件事故車の車長兼助手としてその助手席に同乗していたのであるから、右事故車に乗車していた隊員の安全を配慮すべき立場にあつたもので、同二尉は被告の負つている前記義務の履行補助者であつた。

(二) ところが、前記のように本件事故は、本件事故車を運転していた佐藤一士が方向指示器の故障に気を奪われたことがその原因となつているのであるが、本件事故車の方向指示器は機械式のもので、運転席に設けられている駆動用スイツチを左右に回転操作することによつて車体側面に取付けられた方向指示器に直結されたワイヤーが引かれ、ワイヤーに接続された左右の矢羽根が水平位置になると、自動的に電気回路を構成し、矢羽根内の電球が点燈し、スイツチを元に戻すことにより矢羽根が下り矢羽根内の電球が消燈する構造となつており、右方向指示器の作動不良の原因としては種々考えられるが、本件の場合には、矢羽根を出す時には正常に作動し、矢羽根を元に戻すときに作動不良となつていること等から考えると、フレキシブルチユーブの固定が悪く、スイツチを元に戻すときにチユーブがワイヤーと一緒に動いたり、ワイヤーにタルミができて作動しなくなつた可能性が一番高い。

いずれにしても、本件車両には方向指示器に整備不良による作用不良があり、被告において道路運送車両法四七条、運輸省令により義務づけられている一日一回運行開始前の点検整備を怠つたために本件事故が発生したものである。

(三) また、本件事故車は、本来土砂運搬を目的とする車両重量六・三二五トン、車両幅員二・二九メートルのダンプカーであり、車両運行の場合、乗車者の転落、積載物の転落飛散防止の措置をとるべきことは道路交通法上要求されているのみならず、本件事故現場のような路肩のゆるんだ幅員三・二メートルの一車線の田舎道において本件事故車のような大型重量車を運行するにあたつては、万一の場合にそなえて、積載物が落下しないように荷台に固定しておくべきであつたにもかかわらず、本件事故車の場合は、わずかに荷台の両側に簡易な板で座席を設置し、荷台後端に一本の布製バンドを設けたのみで、同荷台に前記のように亡惠三はじめ一八名の隊員と前記板材を混合して積載したために本件事故が発生したものである。

(四) さらに、本件事故車を運転していた佐藤一士は、自衛隊における車両運転免許を本件事故日の四五日前に取得したばかりで、右取得の際の教育時以外車両操縦の経験が全くなく、本件事故日の五日前ころ、それまで木工・土木作業にのみ従事していたのに突然車両の操縦を命ぜられたもので、運転技術は未熟であり、運転者として不適当であつた。しかも事故当日は、隊員及び荷物を混載した事故車に満水した一トンのトレーラーを牽引して路肩のゆるんだ悪路を雨中走行させられたものである。

(五) また、長谷場二尉は本件事故車の車長兼助手として助手席に乗車しておりながら、佐藤一士が方向指示器に気を奪われ、本件事故車を道路左側路肩に寄せた時に注意しもしくは一旦停止させて方向指示器を修理させれば容易に本件事故が防げた筈であるにもかかわらず、何ら注意を与えなかつたために本件事故が発生したものである。

(六) 右のように、長谷場二尉は、被告の安全配慮義務の履行補助者でありながら、方向指示器が作用不良で、乗車者の転落、積載物の転落飛散防止の措置のとつていない本件事故車を運転技術未熟な者に悪条件のもとで運転させ、しかも事故発生前運転者に対し何ら注意を与えなかつたもので、それらの点において債務不履行があつたものというべきである。

したがつて、被告は安全配慮義務の不履行として、本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

4  損害

(一) 亡惠三の逸失利益

(1) 亡惠三は昭和三八年七月二二日に三年任期隊員として陸上自衛隊に再入隊したので昭和四二年七月二一日には除隊する見込であり、本件事故により死亡しなければ、自衛官として別表一中退職までの欄記載の俸給及び賞与を、また退職時には退職時の俸給額を三〇で除し一〇〇を乗じた退職金をそれぞれ得た筈で、右収入から生活費としてその五〇パーセントを控除し、同人の死亡後自衛官を退職するまでの逸失利益を求めると金三〇万八四六〇円となる。

(2) 亡惠三は自衛隊を退職後は六七歳まで民間企業に就職し、別表一記載のとおり、昭和四二年から同五〇年までは各年度の、同五一年以降は同年度の賃金センサス男子労働者、小学、新中卒欄の各年齢相当欄の収入を得ることができた筈であり、右金額から生活費としてその五〇パーセントを、昭和五三年分以降の収入については年別ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除すると、同人の自衛隊退職後の逸失利益の昭和五三年一月一日時における現価は金二六三一万二四八円となる。なお、右中間利息の控除は、昭和五二年末までは被告が未払のまま経過しているのであるから、昭和五三年一月から同年一二月までを第一年として計算すべきである。よつて、亡惠三の逸失利益は合計金二六六一万八七〇八円となる。

(二) 慰藉料

原告加戸繁子ならびに亡聖六は、一人息子である亡惠三を失い、その精神的苦痛は筆舌に尽し難いが、その苦痛を慰藉するには各金二〇〇万円が相当である。

(三) 相続

原告加戸繁子及び亡聖六は亡惠三の父母で同人の相続人であり、他に亡惠三の相続人はいないので、同人の(一)の損害賠償債権を相続により二分の一ずつ取得したが、昭和四五年三月に亡聖六が死亡したため、同人の妻である原告加戸、兄弟姉妹である同國光、同渡邊及び訴外亡國光由一の代襲相続人である訴外絹谷知津子においてそれぞれ相続したが、昭和五三年五月二〇日、同訴外人が右相続権を放棄し、原告加戸が三分の二、その余の原告らが各六分の一宛右亡聖六の遺産を分割する旨の遺産分割協議が成立した。

(四) 損害の填補

亡聖六及び原告加戸は亡恵三の事故死により被告から遺族補償金、退官退職手当として合計金六八万五〇四〇円の支払を受けた。

したがつて、原告らの損害賠償債権の残額は、原告加戸が金二四九四万四七二三円、同國光、同渡邊が各金二四九万四四七二円となる。

5  よつて、被告に対し、原告加戸は金二四九四万四七二三円、同國光、同渡邊は各金二四九万四四七二円及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五〇年六月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び2の事実は認める。

2  同3、(一)のような一般的義務を被告が負つていること、及び長谷場二尉が原告ら主張のように第二小隊長及び作業隊長として、被告の安全配慮義務の履行補助者であつたこと、さらに同人が事故当時本件事故車の助手席に同乗していたことは認めるが、その余は否認もしくは争う。同二尉は整備車両の提供や運転者の選任及びコースの選定や運転操作内容の決定等の運行管理に関する決定は行なつておらず、目的地における作業隊長としての任務を帯び本件事故車の助手席に同乗していたものにすぎない。

3  同3、(二)の事実中、本件事故車の方向指示器が機械式であることは認めるが、その余は否認する。陸上自衛隊では方向指示器は車両使用の前後及び一月ごとに整備しており、本件事故車の方向指示器は右整備の際は異常がなく、現に佐藤一士の二回目の操作では正常に作動しており、操縦士の操作が不十分であつたために方向指示器が元に戻らなかつたものである。仮に方向指示器が故障していたとしても、ブレーキやハンドルとは異なり、それ自体が故障していても運行自体には全く支障がないものであり、本件事故は操縦士である佐藤一士が前方ならびに側方注視を怠つたために発生したものである。

4  同3、(三)の事実中、本件事故車が大型重量車であり、本件道路が未舗装の一車線の道路であつたこと、本件事故車の荷台に亡惠三他一七名の隊員及び原告ら主張のような資材を積載していたことは認めるが、その余は否認もしくは争う。本件事故車の小隊員を乗せていた場所は、荷台の両側に設置した座席であるうえ、乗車者保護のため板製及び鉄製の外枠を設置し、さらに車両後部に乗車者の転落を防止するため布製の安全バンドを設置していた。したがつて、亡惠三ら隊員が乗車していた場所は乗車のため設備された場所であり、乗車人数及び資材の数量から考えると、板材が飛散して乗車していた隊員に危害を及ぼすおそれはなかつたうえ、本件道路は未舗装ではあつたものの一般の車両もひんぱんに通行し、通常の方法で運行した場合には車内での動揺、落下等による危険ならびに道路からの転落も予想されないから、原告ら主張のように万一の事故にそなえて板材を固定すべきであつたとはいえない。また、本件事故の場合には板材を荷台に縛着してあつたとしても車両外に逃げ出さないかぎり、亡惠三の死亡は避けられなかつた。

5  同3、(四)ないし(六)の主張は争う。

6  同4、(一)の事実中、亡惠三の除隊予定年月日、自衛隊在隊中の階級及び俸給額、自衛隊退職後の逸失利益の算出を原告ら主張の方法で行なうべきであること、生活費割合は認めるが、その余は否認もしくは争う。逸失利益の算出にあたつては、亡惠三の死亡時からライプニツツ方式により中間利息を控除すべきであり、同人の逸失利益は別表二のとおりである。

7  同4、(二)は争う。被告と原告加戸及び亡聖六との間には安全配慮義務に関し何らの債権債務関係は存在しないから、原告加戸及び亡聖六が亡惠三の死亡により精神的苦痛を被つたとしても、被告の債務不履行を理由とする同人ら固有の慰藉料請求は失当である。

8  同4、(三)の事実中相続に関する事実関係は認めるが、本件損害賠償債権を取得したとの主張は争う。

9  同4、(四)の事実は認める。

第三証拠〔略〕

理由

一  亡惠三が昭和一四年二月一六日出生し、昭和三八年七月二二日陸上自衛隊に再入隊し、本件事故当時は同自衛隊第一〇二施設大隊に所属する一等陸士であつたこと、同人は陸上自衛隊第一施設群一般命令及び第一〇二施設大隊一般命令に基づき、昭和四〇年七月一四日から同年九月一五日までの予定で実施された演習場整備工事に従事していたが、同年八月一日同大隊第一中隊第二小隊長長谷場二尉の命により暗渠型枠設置作業実施のため、同中隊佐藤一士の運転する本件事故車に小隊員一七名と共に乗車して北海道野付郡別海村の作業隊宿舎から午前七時二五分ころ作業現場に向け出発したこと、ところが、出発後約九〇〇メートル先の同村字新富七七番一六号先の三叉路を右折し終つた際、本件事故車の方向指示器が元に戻らなくなり、右佐藤一士において方向指示器を元に戻そうとその操作に気を奪われているうちに、車が道路左側に寄りすぎたため、同車を道路右側へ寄せようとしたが、路肩が軟弱なためハンドル操作の自由を失い、車が更に道路左側に寄つたので急ブレーキをかけたところ、一瞬停止した後左に傾き、路肩が崩れ一・五メートル下の湿地帯に転落して転覆し、その際亡惠三は同人らが乗車していた荷台に積載されていた板材と本件事故車の鉄製幌枠との間に胸部及び大腿部をはさまれ、窒息により即死したことは当事者間に争いがない。

二  そこで、被告の責任について判断する。

1  被告が雇傭者として、公務の遂行にあたる国家公務員に対し、その遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つていることは被告も認めるところである。

2  そして、長谷場二尉が陸上自衛隊第一〇二施設大隊第二小隊長であり、また本件事故当日の作業隊長として被告の右義務の履行補助者であつたことならびに同二尉が本件事故当時事故車の助手席に乗車していたことは当事者間に争いがない。

そこで、右履行補助者である長谷場二尉に右義務の不履行があつたか否かについて判断する。

成立に争いのない甲第九ないし第一二号証、乙第三号証、第五号証(乙第三号証は原本の存在も争いがない。)、被告主張のような写真であることについて当事者間に争いのない乙第四号証の一ないし一三、証人佐藤道人、同長谷場純也の各証言を総合すると、本件事故現場の道路は、一・五メートルの高さに盛土をして築造したもので、幅員が約三・二メートルにすぎず、中央部には砂利が敷いてあつたが、前夜から雨が降り、事故当時も霧雨が降つていたため路肩部分は相当軟弱となつていたこと、本件事故車は車幅が二・二九メートル、車両自体の重量が六・三二五トンでしかも事故当時ほぼ満水状態の一トントレーラーを牽引していたこと、本件事故は、事故車が前記三叉路を右折した際大回りをし、右折後もそのまま道路左側に寄つて進行し、右三叉路から六、七〇メートル進行した地点附近で、前記のように運転していた佐藤一士が元に戻らなくなつた方向指示器を元に戻そうとして操作を繰り返し、そのことに気を奪われているうちに、更に事故車が左に寄りすぎたため同車を道路右側に寄せようとしたが、路肩が軟弱でハンドル操作の自由が失われ、遂に道路左側に寄つて行き、急遽急ブレーキをかけたが路肩が崩れ、道路下に転落したものであること。

一方本件事故車を運転していた佐藤一士は、昭和四〇年四月一九日から同年六月一九日までの間、北海道札幌市の真駒内駐屯地の自衛隊教育隊で車両運転の教育を受け、同月四日に北海道公安委員会から大型第一種の運転免許を、次いで同月一六日に自衛隊から自衛隊二・五トン車の運転免許の交付を受けたが、その後車両の操縦に従事せず、同年七月二三日北海道岩見沢市の部隊から前記工事の作業のため矢臼別演習場内新富宿営地に移動してきたが、移動後約三日間は車両の運転には従事せず、一般施設手として木工作業や土木作業に従事し、移動後四日目ころから初めて訴外阿部陸士長が助手席に乗車し、その指導を受けながら車両の操縦を行ない、事故当日の操縦が初めての単独操縦であつたこと、また本件事故車の助手席に乗車していた長谷場二尉は佐藤一士の前記車両運転教育時の教官で、その後の同人の運転経験も十分知悉していたこと、同二尉は佐藤一士がブレーキをかける直前に初めて「危い」と注意を与えたのみで、右折後事故発生までの間全く注意を与えていないことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

以上の事実を総合すれば、本件事故は、佐藤一士が本件事故車を運転し、三叉路で大回りで右折した後も、道路の幅員からしてあまり余地のない本件道路の左側に寄つたまま進行し、その後方向指示器を元に戻すことに気を奪われ、事故車が更に左側に寄つたことに気づかなかつたことが事故の主因を成しており、右佐藤一士の操縦経験を十分知悉し、しかも事故車の助手席に小隊長兼作業隊長として同乗していた長谷場二尉としては、右の時点で当然に佐藤一士に対し注意を与えるべきで、またそれが可能であつたにもかかわらず、同二尉は転落直前に至つて初めて注意を与えたにすぎないことが認められるから、少くとも右の点において、長谷場二尉に履行補助者としての注意義務違反があるものといわなければならない。

そうだとするならば、原告らのその余の主張を判断するまでもなく、被告は安全配慮義務の不履行として本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

三  そこで損害について判断する。

1  亡惠三の逸失利益

亡惠三が昭和一四年二月一六日生れで、昭和三八年七月二二日陸上自衛隊に再入隊し、本件事故により死亡しなければ昭和四二年七月二一日に退職する予定で、その間原告らの主張する額の俸給を受け、退職時には退職時の俸給額を三〇で除し、その額に一〇〇を乗じた額の退職金の支払を受けた筈であること、同人の生活費として収入の五割を要したことは当事者間に争いがないので、右収入から右割合の生活費を控除し、さらに年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除して亡惠三の自衛隊退職までの間の逸失利益の死亡時現価を求めると、別表三のとおり金二七万七〇三五円となることは計数上明らかである。

また、亡惠三が本件事故により死亡しなければ自衛隊退職後も六七歳まで稼働し、その間賃金センサス産業計、企業規模計、男子労働者小学、新中卒欄(昭和四二年から同五〇年までは各年度の右同欄により、昭和五一年以降は同年度の右同欄による。)の各年齢における収入と同額の収入を得た筈であること、生活費として収入の五割を要したことは当事者間に争いがないので、右収入から右割合の生活費を控除し、さらに年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除して亡惠三の自衛隊退職後の逸失利益の死亡時の現価を求めると、別表三のとおり金一四七三万五六八八円となることは計数上明らかである。なお原告らは、被告が右損害賠償債務不履行のまま既に昭和五二年末を経過しているので、右の間の中間利息を控除すべきでないと主張するが、本件においては死亡時に既に損害が現実化し発生しており、その時点における損害額を算定すべきであるから、遅延損害金の起算日の点はともかくとして、死亡時を基準として中間利息を控除すべきであつて、原告らの右主張は採用できない。

よつて、亡惠三の死亡による逸失利益は合計金一五〇一万二七二三円となる。

2  慰藉料

亡聖六及び原告加戸が亡惠三の父母であること、亡聖六が昭和四五年三月死亡したことは当事者間に争いがなく、右両人が亡惠三を本件事故により失い多大の精神的苦痛を被つたことは容易に推認されるところであり、右苦痛に対する慰藉料は各金二〇〇万円が相当である。

ところで、被告は債務不履行の場合には遺族固有の慰藉料請求は失当であると主張するが、債務不履行の場合といえども右不履行と相当因果関係にあるものとして、亡聖六及び原告加戸の遺族固有の慰藉料請求権が認められるものと解するのが相当であるから、被告の右主張は採用できない。

3  相続及び損害の填補

亡聖六及び原告加戸が亡惠三の父母であること、亡聖六及び原告加戸以外に亡惠三の相続人がなかつたことは当事者間に争いがないから、亡聖六及び原告加戸は亡惠三の前記1の損害賠償債権を二分の一ずつ相続により取得したものというべく、したがつて亡聖六及び原告加戸の損害賠償債権は各金九五〇万六三六一円となる。

亡聖六及び原告加戸が亡惠三の死亡により、被告から遺族補償年金、退官退職手当として合計金六八万五〇四〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右金員を亡聖六及び原告加戸の前記損害賠償債権に二分の一ずつ充当したことが認められ、亡聖六及び原告加戸の未だ填補を受けていない損害賠償債権額は各金九一六万三八四一円となる。

ところが亡聖六が昭和四五年に死亡し、同人の相続人としては原告加戸、同國光、同渡邊、訴外絹谷知津子が存在したが、昭和五三年五月二〇日、同人ら間で、右訴外絹谷知津子が相続権を放棄するとともに亡聖六の前記損害賠償債権を原告加戸が三分の二、その余の原告らが各六分の一ずつ相続により取得する旨の遺産分割協議が成立したことは当事者間に争いがない。

してみると原告加戸の損害賠償債権は合計金一五二七万三〇六八円となり、同國光、同渡邊の損害賠償債権は各金一五二万七三〇六円となる。

四  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、被告に対し原告加戸において金一五二七万三〇六八円、同國光、同渡邊において各金一五二万七三〇六円及び右各金員に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五〇年六月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱の宣言はこれを付するのが相当でないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川昭二郎 片桐春一 金子順一)

別表一

〈省略〉

別表二

〈省略〉

別表三

〈省略〉

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